自己紹介~井上りか~結構いじめられたけど、ちゃんと生きている

こんにち和。

こう見えてアパート経営をしている井上りかです。笑

私が自分の人生の中で一番苦手な自己紹介をさせていただきます。

井上

父が先妻と離婚前に私は生を受けていた!?

2020年現在、アラフォー真っ只中の私ですが、ほんの1年前に”曰く付き”!?の生まれだったことが発覚しました。笑

11月生まれの私が生まれた年の3月に父は先妻と離婚をしています。

なぜそんなことが、1年前になって分かったのか。

そのタイミングに私の実家をアパートに立て替えて母を住まわせることになりました。

その時にいろいろな手続きに関連して原戸籍証明書という書類を取り寄せました。その証明書上で、父に先妻とその先妻との間に子どもがいる、ということが分かりました。

ちなみに、父は私の母とも離婚しています。

 

「、、、ちょっと、ごめんなさい、、、」

 

地元を離れている私の代わりに、お役所から原戸籍証明書を取ってきてくれた母が私に言ったひと言です。

母は父の離婚歴も子どもの存在もこの書類で初めて知ったようで、かなり戸惑っていました。

私の両親は今で言う”授かり婚”っぽいですね、、、

当時3歳くらいだったと思うのですが、私は父と母の結婚式に出た記憶があります。

ちなみに、私自身は、父の離婚歴と子どもの存在にショックを受けたり、驚きや怒りを感じたり、ということは顕在意識上はまったくありませんでした。

分からないでもないな、、、

結局、他に一緒にいたい女性ができたからと私の母とも離婚をした父なので、他に子どもがいても別におかしくないなぁ、という感じです。

そして、父は、最終的にその女性とも離別して、ひとりで死(病死)にました。

父は、自分が目を背けるくらい精神的に幼稚なのだったと思います。

12人兄弟の次男で、お母さんの愛情を十分に受けられなかったのかもしれませんね。

 

自分を見て欲しい

 

父が女性や仕事をコロコロ変えるのも、人間関係が必ずこじれて孤独になっていったのも、内向きな気持ちが強いのが原因で、理解してもらえなければ自分から離れていくし、周りも離れていってしまう、という生き方になってしまったのかもしれない。

 

父が亡くなって10年以上経ちましたが、ごく最近、そんな風に思っています。

いじめられました

そんな父と、ごく普通のサラリーマン家庭に育った母の間に生まれた私です。

幼少時代は父と母の結婚式のほかはあまり記憶にないのですが、小学生の私はいじめられっ子でした。

低学年の頃に友達のお家で出されたおやつがすごく美味しくて、いっぱい食べてしまった翌日に

「食いしん坊!」

と朝礼前にでみんなに囲まれて責められて、ボロ泣きしたり

隣の席の男の子ととことん気が合わなくて、毎日いじめられたり

太り出したら、さらにいじめの標的になって叩かれたり、蹴られたり、言葉で罵られたり

勉強がほとんどできなくて、学校生活全般が苦痛でしかたない、、、

母もいじめや勉強ができない悩みを取り合ってくれず、毎朝布団を剥がされて泣きながら登校したり、、、

(よく登校拒否にならなかった、、、)

 

振り返ると、思春期の大事な人格形成期が、今までの人生で一番生きづらかった時期です。

ターニングポイント

小学5年生の時に転機が訪れます。

都会の方から転校したきたえりこちゃんという頭の良い女の子と少し仲良くなって、どうして勉強ができるのかを聞いたのです。

その時に教えてもらった塾に通うようになってから、急に勉強が好きになって、成績も上がりました。

結局、高校は進学校に入ることができるまでになり、(高校はあまり勉強に熱が入りませんでしたが、)浪人することなく大学に進学、留年することなく就職することができました。

小学生時代の私には想像できなかった、人生を歩んできました。

もちろん、小学校卒業後から今までもそれなりに波乱は経験してきたつもりです。

社会人になって4、5年して、結婚をしたのは26歳の時。

その頃、すでに母とは離婚をした父から突然に電話があり

「自己破産してお金がないので、2ヶ月くらい生活できるお金を貸して欲しい」

と言われました。

今まで聞いたことのないような弱々しい声に動揺しながら、嘘はつけない父だと分かっていたので、ふたつ返事でお金を振り込みました。

それから、しばらくして、父は精神的に病んでしまったらしく、深夜徘徊をしている父を保護してくれた地元の警察署から電話がかかってきたこともあります。

私が地元を離れて、すぐにどうにもできなかったので、父の兄にあたる叔父に助けを求めました。

数年ぶりとなる叔父でしたが、他人である母のことも、私のことも本当に心配してくれていて、叔父が父の面倒をみてくれました。

(とてもありがたいことに叔父家族とは今でも交流があります。)

その時、父は、すでに末期の肺癌だったそうです。

亡くなる前は精神科病棟に入院をしていたようで、父の兄弟が最期のお世話をしてくれました。

私は、父の死に目にも会っていませんし、葬儀にも出ていません。

父が亡くなったことは、母が葬儀が終わった後に教えてくれました。

葬儀に参列した母は、いわれのない非難を浴びたりもしたようです。

父が教えてくれたこと

私が、父と顔を合わせて、最後に話したのはいつだったのか、、、

実はよく覚えていません。

ただ、私の記憶にある父は、私の進学や就職を嬉しく思ってくれていました。

母には自分より稼いで欲しくない、みたいに思っていたようですが、私に対しては

「これからは女性も活躍する時代だ」

というようなことを話してくれた記憶があります。

 

まぁ、根っからの悪人ではないので、憎めない父だなぁと思います。

 

そんな孤独に死んでいった父が、私に教えてくれたことは

「和合して生きていきなさい」

なのかなぁと思っています。

 

何をしていても人とトラブルを起こす父。

 

そんな父の遺伝子を受け継いだ私も、

これまでの人生は、人間関係が苦手でした。

とにかく、ひとりが好きで、うまくいかなくなった友達数知れず、、、

 

ひとりでご飯を食べに行くとか、ひとりで海外旅行に行くとか、ひとりで深夜ドライブをするのが趣味だったり、家族といてもひとりで過ごしたいと思っていたり、、、

誰にもジャマされないひとりで過ごす気楽さ、ひとりで過ごす自由度の大きさ、誰にも何にも交わらないのがステキという”おひとり様”という意味の分からない勘違いステータスに甘えて、生きてきました。

でも、この人生が、私をIYASAKAに向かわせてくれたんだなぁ、、、

そんな”いい気”になっているひとり好きな私に

 

「いい加減にしなさいな、、、」

 

と人生の壁を突きつけてくださった神さま。

育児休暇から職場復帰した私を待っていたのは、上司と同僚からの手厳しい扱い、でした。

 

はじめは自分のどこがいけないのか分からず、ただ、ただ、辛い日々をやり過ごしていましたが、このままこの職場ではやっていられない。

この頃から、自分の身を立てられるように、と学ぶための自己投資を始めました。

エネルギーとか目に見えない世界、といった視点を得たことをきっかけに、自分のこれからの人生を本気で考えるようになりました。

 

あぁ、自分以外の誰かのために何かをする、という意識がなかったんだ

 

この仕事をすることで誰を幸せにしたいのか、

その誰かを幸せにするためにやるべきことは何か、

やるべきことの中で私ができることは何か、

そんな意識を持ち始めたら、手厳しい同僚よりも”誰か”の存在が重要になってきて、だんだん私らしく仕事ができてきたのです。

 

私らしく仕事をすると言っても、ひとりでは全てを実現できません。

人の力を借りることで、自分の考えることを形にする、ということを学びました。

ようやっと、脱ひとり、です。

 

それから、英語の勉強、物販の経験を経て、ゆっくり遠回りをしながら2019年7月に【西野ひろゆき】さんのコミュニティIYASAKAの門を叩かせていただきました。

でも、入会後の数ヶ月はひとり癖の私のままでいたので、実は、あまりIYASAKAの場に顔を出していませんでした。

たまーに、アウトプットルームに投稿するくらいで、ここにプロフィールを書かせていただくような活動もしておりませんでした。

ブログチームからまさかの!?

2019年の10月くらいにブログチームの応募があって、手を挙げさせていただき、数記事を投稿させていただく機会をいただきました。

 

そこからです。

 

怒涛の転身!?

 

かつたさんからアシストチームへのお誘いをお受けしました。

そして、2月からは出村さんと「上弦の月号」の執筆担当をさせていただくこととなり、

さらに、その下旬には、IYASAKA会員の皆さまへ2年目のご案内メールを執筆させていただく、という大役を仰せつかりました。

前置きが大変長くなってしまいましたが、、、

実は、私って、自己紹介に書けるほどのアピールポイントがなくて、この執筆にも時間がかかってしまいました。

 

と言うわけで、自分の半生をすごーく簡単に書かせていただきました。

子供の頃はいじめにあっていましたし、途中、勉強するようになったのに、人生の目標を立てるのを怖がったまま大人になってしまいました。

その結果、”内向き”思考が強くなってしまい、人とうまくやっていけないから孤独になる、という生き方をしてきてしまいました。

でも、人生の目標がなかったからこそ、苦しみを味わい、”外向き”にならざるを得ない状況となったのです。

 

こうして、IYASAKAに導かれたのも、私のこれまでの人生すべてに意味があったからのだと思います。

私みたいに、自分って何ができるんだろう、という人の光を見つけるお仕事をしたい

だいぶ、ばくっとしていますが、今は、こう思っています^^

最終的にはコンサルタントになりたいと思っています。

(冒頭の”アパート経営”は一体なんなんだ!?という感じですが、、、笑)

 

井上りかってこういう人です、とズバリ言えなくてすみません。

私のこれまでの人生が井上りかです!

井上ともっとお話ししたいという方がいらっしゃいましたら、メールまでお気軽にご連絡くださいませ。

それでは、結構いじめられたけど、ちゃんと生きている井上りかでした〜

弥栄ましませ。

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